1月のある夜
2026/04/14
1月のある夜
閉店しようと看板を下げに外に出ると、
自転車を持った年老いた男性が、メニュー表を眺めていた。
「閉店時間なんだな‥」
寒そうに白い息を吐きながら男性がつぶやく
「そうなんですよ。もう少し早くご来店頂けたら‥」
会話してみると、
男性は毎日このお店の前を通って通勤しているのだが、
仕事が21:00に終わるので、
どう頑張っても21:05くらいになってしまうらしい。
「毎日ここ通って、ずっとこのお店が気になってたの‥
何か食べられたらなと思って。でも、また来るね。」
男性の表情が、寒くて疲れて腹ペコだ‥
自転車に乗って緩やかに走り始めた男性に声をかけた
「あの、何かすぐに出せるもの作りますよ!」
暖かい店内に男性を入れると、内装に大層驚いていた。
ポケットから男性が数枚のお札と小銭を出して
「今持ってるお金、これで全部。足りるかな‥?」
と言うので
お料理は男性の持っている金額に合わせて
お任せコースということにした。
「俺みたいなジジイ、みんな追い払うのに。こんな夜遅くに。
お姉さん、ロマンチックな人だね」
お料理を待っている間に、男性は色々な話を聞かせてくれた。
絵画の話し、音楽の話し、
昔は銀座や広尾の名店を食べ歩いて過ごした話し‥
食にもアートにも詳しいこの男性は、
只者では無いようだ。
この日以降常連様となる彼の名を、市川紳士と呼ぶことにする。
前菜からメイン、デザートまで食べ終えてから、
「フィナンシェが大好き」だと紳士が言うので、
焼き立てのフィナンシェをお茶菓子に出した。
「このフィナンシェは‥
これひとつの中に色んな食感が存在して、
焼き菓子ひとつで料理になってるんだな。
すごいや‥。」
食後のお茶を飲みながら、紳士はとても満足した様子で、
内装を見渡しながら
「ここは小岩じゃねぇな‥」と何度も言っていた。
私も内装を創る時には、10代の時に働いていた奥沢のフレンチレストランの雰囲気を意識していた。
そのレストランは、高級フレンチのお店なのに、
実家のようなぬくもりがあり、包み込まれる安心感があった。
ロイヤルコペンハーゲンやヘレンドの
世界に一つしか無い手書きの器達が、
当然のように隣に寄り添ってくれる、魔法の空間だった。
「毎日遅くまで働いているんですね」
「毎日怒られてるよ。でもありがたい。
こんな年寄りでも雇ってくれるんだもん。ありがたいね。」
人間とは不思議な生き物で、特に問題がなくても、
誰かを責めることで安心を得るところがある。
なるほど、この紳士は、誰かに責められることさえも
自分の仕事のひとつとして捉えているようだ。
偉い人だなぁと私は思った。
それと同時に、今はレストランでお客様としているのだから、
大切にされる時間を満喫してほしいと思った。
食後のお茶を飲み終えた紳士が
お会計の合図をする。
「いい時間をありがとう。最高にロマンチックだったよ」
「いゃぁ、あんな寒そうでお腹空かせた顔されたら、
突き返せないじゃ無いですか」
紳士が笑う
「また来るね!」
自転車に乗って帰る紳士を見送り、店の看板を下げる。
時計は22:30過ぎ。
閉店は遅くなったけど、不思議と充実した時間だった。
それからなんとなく、閉店前には紳士がいないか
辺りを見渡してしまう。
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